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発願、試練、成就。(4)

だから、
ご神業をやってて、
苦しいなとか、
困難だなとか、
思ったときがチャンスです。

自分が飛躍し、
立派になり、
なりたかった自分になるチャンス。

その後きっと、
思いがけない大活躍が始まります。

本当です。

多くの実例が物語っていることです。


もちろん、
修業に終わりはありません。

だから、一つの試練を越せば、
また次の発願をし、
さらに立派になるための、
新しいサイクルが始まるのですが。

(それゆえ、
支部長さんたちやエリア議長さんなどは、
いつも、より次元の高い課題にチャレンジし、
喜んで葛藤しておられるように感じます。
頭が下がりますね)


残念なことに、
ネット上でワールドメイトのことを
あれこれ言う人々がいます。

もちろん、
思考パターンや、用語の使い方をみれば、
「ああ、他教団の方だな・・・」と、
一発でわかる方々が中心なようですが、
中には本当の退会者、現会員もおられるようです。


そういう方々に伺いたい。


あなたは立派になれますようにと、
一度でも神様に発願したことはないですか?

もしそうだとしたら、
理不尽な葛藤や、
あられもない苦労が起こるのは、
むしろ当然のことではないのですか?

神様の知恵は、
私たちを圧倒的に上回っていますから、
私たちの頭で理解できたり、
すんなり納得できるようなことばかりではありません。

むしろ、理屈で考えて意味がわからないからこそ、
ギリギリまで悩み、追い詰められ、魂の底から振り絞るように祈る。
…それが「御魂磨き」だと、ワールドメイトで勉強したのではないですか?


もし、ひとたびそのことに気付いたならば、
「試しに」でいいですから、
ぐだぐだ言ったことを神様にお詫びし、
「無理矢理に」でもいいですから、
神様に感謝してみるといいでしょう。

神様はきっと許してくださいます。

そしてきっと、
これまでの苦しみを散らし、
新しいステージをひらいて下さるでしょう。


折しも明日から、
三輪でのご神業です。

「昔の傷をいやし、
過去の過ちをいやし、
過去を許し、
昔の傷を修復する」
という、喜天観音様がお出ましになります。

そしてそのまま節分となり、
冬神業のスタートです。

神心からずれた部分をただされ、
神の御心を第一として生きる、
人として最高に幸せな人生になるよう、
神様に導いていただけるでしょう。

そしてそれは、
これまで苦しみや困難が大きかった人にこそ、
大きな福徳と恵みとなってやってくるはずです。


そう信じて、私自身も、
神に向かう気持ちを新たにしたいと思います。

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発願、試練、成就。(3)

でも、そういう紆余曲折は誰にでもあります。

越えられるかどうか、
ギリギリの試練であってこそ、
本当に魂が成長するのです。

特に、
一生の発願が成就するかどうかの瀬戸際には、
「どうしてこうなるんだ」
「もう嫌だ」
「投げ出したい」
と、絶叫するような日々が続きます。

そうあらねばおかしいのです。


若き日の西郷隆盛だって、
失意のうちに自殺未遂をしています。

天神様ですら、左遷されて長い間、
嘆き悲しんでおられた様子が、
美しい歌となり、文章となって今に残っています。

修業時代の深見先生でさえも、
何度か「家出」をされたといいます。

(エンゼルビデオか青山塾ビデオで、
植松先生のお宅を飛び出し、
自転車で一周して帰ってこられたというお話がありましたね。
深見先生は、おもしろおかしく笑い話にしておられましたが、
本当にギリギリのお苦しみだったことと拝察申し上げます)


そうした「どん底」状態の中で、
ギリギリまで葛藤し、
「死んでしまいたい」と思いながら、
絶叫するように神に祈ってこそ、
御魂が磨かれ、真の意味で成長する。

・・・深見先生は著作でも、講演でも、
そうなるものだと最初からおっしゃっています。


しかも、それは、忍耐と根気を要求されます。
いつ果てるともしれない苦行があり、
先の希望など、到底持ち得ないような気持ちになり、
このままやってても仕方ないと思えてくる。

でも、そういう時が勝負なのです。
99回へこたれそうになっても、
100回目にもう一度立ちあがってくるかどうか。
神様はそれを見ておられるのです。

試練がやってきたときに、
それを神が与え給うたものだと思いなおし、
無理やりにでも感謝して、
また一歩を踏み出せるかどうか。

神様が試しておらるのはそこでしょう。


試練というのがいかにありがたいものか。
それは、現実の社会をみても一目瞭然です。
苦しみや困難を越えたことのない人は、
職能力でも、人間関係でも、精神力でも、
そうでない人より明らかに劣ります。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言いますが、
神様を信じるとかどうかは関係なく、
苦労の足りない人は、社会で勝ち抜けないのです。
世の中の一般法則です。


だから、試練がやってきたときには、
より立派な自分になるよう、
神様に磨いていただいているんだと、
感謝するのが本当の態度だといえるでしょう。


そして、感謝できた瞬間に、
たいがいの場合、
苦労や葛藤が散っていきます。

ワールドメイトにいて、
そうしたことを経験した人は多いのです。

そしえ、そんな経験をした方は、
皆、例外なく立派な人になっており、
支部であれ、社会であれ、
人から尊敬され、
人を幸せにできるような人になっておられます。


これは、私自身がこの目でいくつも見てきた事実です。



発願、試練、成就。(2)

さて、発願が神様に届いたら、何が起きるか?

当然、立派になるように、鍛えられます。
自分が願ったとおりに、
神様が修業のプログラムを与えて下さるのです。

ここで重要なことですが、
得意なこと、
やりたいことばかりやってては、
成長は頭打ちです。

やりたくないこと、
逃げ出したいことを、
雄々しく楽しんでこなせるようになってこそ、
本当に立派になります。

だから、ご神業をはじめてある程度たつと、
「なんでこんな苦しい思いをするんだ?」
といったことに遭遇する場合が多々あります。

当然です。

そうなるように、願ったのは自分なのですから。

しかし、悲しいかな人間、
苦しみの最中は、
そうしたことを都合よく、
コロッと忘れることが多いのです。

それで、神様に文句を言い始める。
支部やエリアのあり方を批判し始める。
ワールドメイトに不審を抱き、
あげくに、深見先生にまで疑問を持つ。
(私もそんな時期がありました・・・苦笑)

・・・しかし、冷静に考えてみると、
苦難だの困難だのといっても、
他愛もないようなことばかり。

歴史上の偉人や聖賢たちが
経てきた試練に比べれば、
それこそ千分の一以下。
深見先生が越えてこられたものと比べると、
万分の一にもならないでしょう。

なにしろ、
「神のご用にお使いいただける人にしてください」
とか、
「○○のような素晴らしい人物になれますように」
と発願したのです。

本来であれば、
今経験する苦労の千倍、万倍も辛酸を舐め、
ようやく「そこそこ」の成果があがるようなことを、
自分で神に祈ったのです。

私も、同じ支部にいた人がやめていって、
神様や組織に対して文句を言ってるのを、
何度も聞きましたが、
その都度、残念に思います。

だって、その人たちは皆、例外なく、
「神のご用に使っていただけますように」と、
一度は真剣に発願した人々だからです。

「どうしてこうなるんだ?」と思うような、
理不尽なことや、
あられもない試練が起こることは、
ある意味で当然なのに、
起こってみたら今度は神様を恨み始める。

神様も残念に思いながら、
遠くでやさしく見守るしかないでしょうね。

神様は大らかですから、
やはり、人間の自由意志を尊重されます。

「ああ。またこの子も裏切ったな・・・」と、
ホロ苦く感じてはおられるでしょうが、
それでもやさしくご守護を続けておられるのでしょう。





発願、試練、成就。(1)

最近、つらつら思うこと。

「棚ボタ式のお陰」というのは、ない。
本当の神様がお働きになる限り、あり得ない。

そう思います。

もちろん、ご神業を始めた当初は、
「あ!守護霊っているんだー」とか、
「これが神様かあ・・・」とか、
しみじみ実感するようなことがしょっちゅう起きます。

神様も、存在をアピールなさるんですね。

でも、何のためにそうされるのか?

人にも願いがあるように、
神様にも願いがあるそうです。

植松先生のお言葉です。

神様が私たちに願っておられることがあるからこそ、
そのことをわかって欲しくてアピールされるんでしょう。

神様は、私たちが素晴らしい社会を作り、
皆がいつまでもずっと幸せに暮らせるよう、
願っておられるはずです。

そのためには、私たちが立派にならねばならない。
少なくとも、自分で自分を幸せにすることができ、
そこからさらに立派になったぶんだけ、人を幸せにできます。

だから、本当に成長して欲しい、
そう思っておられるはずです。

ご神業をやり始めると、
そうしたことを実感することが、
たくさん起きます。

「ああ、もっと立派にならなきゃ」
「神様のお役に立ち、人々を幸せにする人になりたい」
・・・そう願うようなことが、次々と起きます。

そのように、導かれるんでしょうね。

だから、みな、心中深く神に祈ります。

「発願」です。

それは自分の願いであり、
自分の中にある神魂の発露であり、
同時に神々の願いであり、
そうしたものすべてがスパークする瞬間です。

お陰が出たとか、
苦しみが去ったとか、
そういうことがどうでもよくなるくらい、
心中の深いところで、
神を恋い、神を慕い、
絞り出すように祈るのです。

魂のもつ、本当の願いなのでしょう。

そういう「発願」は、
絶対に神様が受け取ってくださいます。

間違いなく。絶対に。

ご神業をやる全ての人がきっと、
そういう体験をしているはずです。




北極老玄神祖 「火の神事」

「水の神事」の物実は、
あまりにすごかった。

先日の宇佐神事のつづきです。

しかし「火の神事」もすごかった!

家で試してみたのですが、
すさまじい証がありました。

物実である「黄金の徳マッチ」の解説はこうです。

「何か困難やトラブルに遭遇したとき、自宅や支部などで、このマッチに火を灯し、具体的にお祈りしてください。すると、災禍厄難を払い、邪魔するものを焼き払う働きが、個人レベル、組織レベルで強力に顕現します。すると、解決の糸口が自然に現れてくるのです。むろん、何も問題がなくても、感謝のお祈りをしてマッチに火を灯すと、災いが未然のうちに消えていきます」

実はここ最近、
しばらく心にひっかかってることがあり、
ためしにこのマッチをすってお祈りしてみました。

ある人が私にしたことが、
どうも理不尽に過ぎる気がして、
ちょっと面白くなかったのです。

ま、生きてれば誰でもある、
よくある話です。

いつもなら、
「お互いに幸せになりますように」
とお祈りして忘れるような事柄です。

でも、まあ、試しにと、
ともあれ、実際にマッチをすって、
ぶつぶつと具体的にお祈りしてみると・・・。

あれよあれよという間に、
胸がすうっと楽になるではありませんか!
「へえ。こんなにわだかまっていたのか?」
と自分でも不思議になるほどでした。

こういうことのストレスって、
意外に大きくて、
自分でも気づかないとこで、
蓄積するんですね。

そういうわけで、
なんだかすっきりして眠りに就きました。

「いろいろあるけど、まあ、いいか」
なんてつぶやきながら。

しかし、「黄金の徳マッチ」のすごさは、そんなもんじゃなかった!


明け方のことです。

外が白じらと明けたあたりで、
ふと、目が覚めました。

そのとき、なんとはなしに記憶が蘇ってきたのです。

ある人が私に理不尽なことをしたと
自分では思っていたのですが・・・

よく考えると、その前に、
私の言った一言が相手を傷つけたのではないか?
そういえば、自分、あんなこと言ったなあ・・・。

そのときの私の具体的な言葉、態度、
それを聞いた相手の表情や様子まで、
あざやかに思いだした。

「悪かったのは自分だ!」

そう思いついて、がばっと起き上がりました。

なぜだか泣けてきて、また神に祈りました。

お詫びの涙なのか、
ありがたくて泣けたのか、
ともかく朝っぱらから大の大人が、
ポロポロと涙を流した。


神様はやはり大愛です。
結局、トラブルの根本を私に示し、
完全に解決したばかりか、
今後同じ失敗を繰り返さないよう、
私に教えてくださったのでしょう。

ありがたい話です。

ワールドメイトには、
本当の神様が降りておられます。

単純に証が出るとか、
御利益があるとか、
そういうレベルでなく、
人して本当に立派になり、
成長できるよう導いていただくところです。

こうした些細な失敗ひとつとっても、
教えに変え、悟りに変え、魂を成長させるよう、
こと細かく導いていただくなんて、
本当にありがたい話です。

あらためて、
このご神縁のすばらしさを感じた出来事でした。









北極老玄神祖水

ようやく昨年の宇佐神事の物実、
「北極老玄神祖水」を試してみました。
入浴時にお風呂に入れてみたのです。
(遠隔申し込みのぶんです)

するとびっくり。

本当に肌がつるつるになるではありませんか!

入浴剤などを入れたわけではありません。
いつものお湯に物実を入れただけなのに、です。


「北極老玄神祖水」の説明にはこうあります。

「物実の『北極老玄神祖水』には、
寿命10年分とも言える生命力の、
根源のような気が込められています。
お風呂に入れたり、肌につけてください。
きっと肌がツルツルになることでしょう。
同時に、神魂が霊体に吸収され、
魂が若返り、命が若返り、肌が若返ってゆくのです」

・・・いやはや、早速どころか、
試した瞬間からすごい効果です。

あんまり驚いたので、
バスタブの中で横に1回転してしまいました。(!)

「北極老玄神祖水」は、
「命寿神仙の徳」を宿すよう、
神事でご神魂が込められたそうです。

神事の直後もすっかり体が軽くなり、
ずいぶん驚いたものですが、
届いた物実をためしてまたびっくりです。

そういえば、
数日前から続いた胃痛が、
すっかりなくなっています。

あざやかですね。

ワールドメイトというとことは、
教えを頭で理解して、
「ああ、有意義だった」
で終わるところでは、
決してありません。

こうした神体験を通じて、
実在の神を掌握できることが、
何よりもすごいところのひとつだと、
あらためて思いました。



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Son of Zeus

Author:Son of Zeus
ワールドメイト的、実験劇場です。
本当に神が実在し、人を幸せにしてくださる「現実」を実感しましょう!

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