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全てのことに感謝できるか? 1

恐らくは昆布縛りの証です。

実のところ、この4月、5月と、
少し気分がすぐれないことが多かった。
むしゃくしゃする、というか
気持ちが沈む、というか。

「こういうときは生霊だ」
ということを昔聞いたことがあったので、
せっせと「被面布」霊璽を書かせていただきました。
(生き霊を祓っていただく霊璽など)

ところが、
一時はすっとするのですが、
また、気持ちが沈む。
どうやら生き霊ではないようです。

結局、何が何だかわからくなったので、
「昆布縛り」にそのまま書きました。

「この気持ちの落ち込み、
見通しの暗さ、
悲観的な想念の原因を、
ことごとく封印したまえ」と。

そして、雌島雄島でのご神業が終わった後です。

車の中で、
昔の「声のご神業」や「マストメッセージ」を、
エンドレスで聞いてました。
後席で、半分うとうとしながらでしたが・・・。

すると、深見先生のお言葉が耳に飛び込んできました。

「神試しや、神鍛え、神の試練というものは、
その事柄に本当に感謝できたときに、終わる」

「心の底から感謝できたときが、
神の試練を乗り越えたときである」

びびびびびびびび
…という感じで、胸に響いてきました。

嫌なこと、苦しいこと、困難なことは必ずやってくる。

それらを、神に対して感謝できるかどうか?

信仰とは、その一点にかかっているのだ…。

…そんな思いが、頭の中をぐるぐる回って
やがて、がんがんに響いてきたのです。


実は、数年前からうまくいかないことがあり、
自分なりに「理不尽だ」と思いながら、
どうにもならないので放っておいたことがありました。

自分としては、
なんとか乗り越えようと思うものの、
何をどう乗り越えてよいのかわからない。

基本的に自分は悪くなく(未熟ではあったのですが)、
明らかに他人の責任だという思いがあり、
むしろ、騙されたとか、裏切られたとか、
そういう思いが湧いてくるのです。

もっと、突きつめれば、
あれだけ神様に祈りながらやってきたのに、
何ひとつとして祈らずにやったことはないのに、
なんで自分がこんな理不尽な目にあるんだろう?
…という思いが、心のどこかにくすぶっていたのです。

「まあ、いいや。
自分も若かったし、
きっと神様が僕を鍛えようと思って、
試練をお与えくださったんだ」
そう思うように努力しようとしては、
それでも疑問が湧いてくる。

その繰り返しでした。

正直なところを言えば、
「こんなことが起きるなんて、
とても神様のおかげなんて言えないな」
という思い。

それが、胸の奥にくすぶっていたのです。

しかし、それこそが、神様の動かれた証だったのです…。

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Author:Son of Zeus
ワールドメイト的、実験劇場です。
本当に神が実在し、人を幸せにしてくださる「現実」を実感しましょう!

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